昭和34年の7号台風

昭和34年8月14日の朝,突然武川を濁流が襲いました。この資料は,防災教育の一つの教材として活用しているものです。資料は中山嘉明氏所蔵のアルバムから掲載しています。


空から見た大武川の様子です。多くの家や田畑が流失し、武川村の中心地の武川銀座は、一瞬で河原となってしまいました。上流の黒戸山の斜面が崩落し、川は一時的に自然のダムとなり、それが一気に崩落して下流に押し寄せました。


橋という橋がすべて流失してしまったため、対岸にワイヤーをかけ、滑車で人々を向こう岸へ渡しました。消防団の人が大きな声で対岸にいる相手に声をかけています。


昭和34年8月26日,大災害から12日後に,当時の岸信介首相が災害地に入りました。この場所は,武川銀座と呼ばれていたところです。案内は,当時の一木村長です。


ここは,古屋敷と呼ばれていた場所です。流される前は,稲穂が出そろった水田が広がっていたところです。


8月14日午前8時ころ,あっという間に民家113戸が流出し,18名の生命を奪い,行方不明者を加えて23名という大災害となりました。


武川が流されているところの写真。大武川の氾濫により,大武川橋や釜無川橋がことごとく流されてしまっている。橋台の一部が中央付近に見えています。



流出前の写真では,下三吹地区の田畑の様子や,大武川が流れる河川の様子がよく分かります。流されてしまった後の写真では,田畑や家屋など,すべてが失われています。


橋がことごとく失われてしまったため,人々は対岸にいる家族や親せきの消息が分かりませんでした。そこで,このように唐紙や障子,襖などに大きく墨で書き,対岸にいる知り合いや身内に無事を知らせました。


下三吹区長石水信義氏宅に水害対策本部が設けられました。写真は,堤防の設置をめぐって県庁に陳情している村民です。


これは,7号台風のあとの15号台風(伊勢湾台風)の時に下三吹の公会堂に避難している人々です。武川村当局及び区長からの指示によって避難しています。


武川小学校では、ほかにも多くの写真を展示しています。7号台風のほかにも、この年の9月に伊勢湾から上陸した台風15号(伊勢湾台風)の時の様子、人々が避難しているときの様子、復旧に向けて人々が努力している様子などの写真もあります。ぜひご覧ください。